未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

情報の文明学 (中公文庫)、梅棹忠夫著、読了、濫読日記風 2018、その53

知的生産の技術 (岩波新書)を読んだところ、知人に「情報の文明学 (中公文庫)」をお勧めされて読んだ。*1

一つの本を読むと、そこから本の輪が広がる。いい感じだ。

「情報の文明学」は梅棹の論文・エッセイ集になっている。その中の一つ1963年頃に書かれた「情報産業論」がすごい。今読んでもその先駆性に痺れる。「なんらかの情報を組織的に提供する産業を情報産業とよぶ」(39ページ)という定義で産業論を語っている。

「産業の大まかな分類には、C・G・クラークによる三分類がしばしばもちいられる。すなわち、第一次産業農林水産業)、第二次産業(鉱工業)、第三次産業(商業、運輸業、サービス業)という分類である。これによると、われわれのいうところの情報産業などは、その先駆的諸形態も全てひっくるめて、サービス業に属し、商業などとともに第三次産業に属することになる。わたしはしかし、これは少しおかしくはないかとおもうのである。」(44ページ)

梅棹は「情報産業」は従来の分類の第三次産業には属さないと考えている。従来の第二次産業の生産物などを売ったりサービスするのが第三次産業に属するもので、「情報産業」は全く新しい産業であるとしている。情報産業が扱うものは「モノ」ではない。モノを扱う「実業」に対して「虚業」という観念を繰り出した。数学における虚数の発見に似ている(50ページ)

梅棹の論考は今なお新鮮で示唆に富む。ぜひ、原文に当たって味わって欲しい。

21世紀は情報産業の時代だ。

工業的生産の価値観とは全く異なる価値観が必要なのが情報産業である。

一読をお勧めする。


濫読日記風 2018

歴史とは何か (岩波新書)、E.H.カー著、清水幾太郎訳、読了、濫読日記風 2018、その52

歴史とは何か (岩波新書)を読んだ。

岩波書店の「図書」の臨時増刊で「はじめての新書」という岩波新書創刊80年記念号の中に本書を見つけた。多くの人が推薦している。この「はじめての新書」は積読製造器だ。というか岩波新書は読みたい本の宝庫だ。なんでこんなに読みたい本があるんだろうか、恐ろしい新書の塊である。

「歴史とは現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望を立てることはできない」

「1961年の1月から3月にかけて、E・H・カーは、ケンブリッジ大学で『歴史とは何か』と題する連続公演を行い、同年秋、これを書物として出版した。この岩波新書『歴史とは何か』は、その全訳である」(はしがき)

過去を見る新しい眼が求められている。

自分にとっての「歴史」というのは過去にあった事をその年代とともに覚えるという中学生的な歴史観である。典型的な暗記物科目であって、正直あまり興味のない分野であった。

本書はそのような幼稚な歴史観を覆す。幾ら何でもいい年をした大人が中二的歴史観を持つのはやめたほうがいい。という事を痛切に認識した。恥ずかしい。

本書は丁寧に「歴史的事実とは何か」をとく。

私たちが知っている歴史は、その歴史を記した人々が選んだ重要な事項を恣意的に記述したものである。征服者の視点であって「奴隷」の視点ではない。奴隷がどのような生活をしていたか我々はほとんど知らない。(12ページ)

カーは「歴史とは何か」に対する答えとして「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間につきることを知らぬ対話なのであります」(40ページ)とする。

欧米人が記した歴史書を今読んでみると、その史観はまさに征服者の視点であることに気がつく。その前提を疑う歴史観に触れるとそこに新しさを見出したりする。

自分にとっての本書の意義は、そのような歴史に対する視点をもたらしてくれたことである。おすすめだ。



濫読日記風 2018

ソロー『森の生活』を漫画で読む、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(原作)、ジョン・ポーセリノ(編・絵)、金原瑞人訳、読了、濫読日記風 2018、その51

ソロー『森の生活』を漫画で読むを読んだ。

ソローの「森の生活」が長いこと積読になっていて、本屋で本書を見つけて即購入。漫画で読む系の本は小難しい古典をお気楽に読むというコンセプトで受けている。

ソローの作品は上下二巻なのでそこそこ分量がある。旅に出たときにでもゆっくり読んでみたいと思った。


濫読日記風 2018

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)、レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、読了、濫読日記風 2018、その50

読書会の課題図書として大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだ。

レイモンド・チャンドラーの作品も村上春樹訳というのも初めてだった。やれやれ。

読書会で他の人の感想をきくのは自分の小説の読み方というのを再確認するのに役立つ。小説は楽しみのために読むので自分の読み方を意識することもないし、意識する必要もない。それでも、人の感想を聞くのは楽しいし、そういう読み方をするのかという新しい発見も多い。

主人公「フィリップ・マーロウ」、ハードボイルドのアイコンだ。33歳独身。将軍、将軍の長女ヴィヴィアン、酒の密売業者、いかがわしい書店の経営者、登場人物がなかなかいい。

資産400万ドル富豪というのは今の価値にするとどのくらいなのだろうか。100倍として4億ドル、いっそのこと4ビリオン(40億)ドルくらいのイメージか。どーでもいいが、そんなことを思いながら読んだ。




濫読日記風 2018

たそがれ清兵衛 (新潮文庫)、藤沢周平著、読了、濫読日記風 2018、その49

読書会の課題図書として「たそがれ清兵衛 (新潮文庫)」を読んだ。

宮沢りえ主演で映画化もされているがそちらは未見である。

藤沢周平歴史小説は初めて読んだ。本書は下級武士の生活を軸に描く短編集である。うらぶれた暮らしをするが実は剣の達人という設定である。

自分が想像していた「たそがれ清兵衛」というのとちょっと違った清兵衛さんだった。なんだかよくわからない感じで人を切っちゃっていいのかなと思った。殺生するなよーという感じであるけど、好きな人には好きな設定なんだろうなあというお話だった。


濫読日記風 2018

複業の教科書、西村創一朗著、読了、濫読日記風 2018、その48


複業の教科書を読んだ。

会社員として一つの組織に属し働くということは、フリーランスとして自分で商売をしたり農業・漁業を営むのと違う。昨今の働き方改革とか人生100年時代という文脈で語られることの多くは会社員としての働き方をどう変えるかということである。

本書は「複業」という生き方について、その必要性を説き、「ふくぎょう(複業、副業)」という選択肢を提案する。複業をはじめるコツ、失敗のパターンなどを丁寧にわかりやすく説明する。

複業を考えている人、考えていない人、自分の人生をよりよく変えたい人、ちょっとモヤモヤしている人、多くの人に働き方を考えるきっかけとして読んでもらいたいと思った。


濫読日記風 2018

古都 (新潮文庫)、川端康成著、読了、濫読日記風 2018、その47


古都 (新潮文庫)を読んだ。

「もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた」

千重子は捨子であったが京の商家の一人娘として美しく成長した。自分に瓜二つの村娘と出会うことによって物語は動き始める。

古都の面影、季節を淡々と織り込む。

川端康成のあとがきがある。文庫本にあとがきがあるというのも不思議な感じがするが、それはそれで興味深かった。昭和36年(1961年)ころの新聞小説だったらしい、


濫読日記風 2018