未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

特許の話、その2

先週の日経新聞の経済教室に「知財制度と革新」ということでソフト特許についての記事があった。3月3日は東京大学教授玉井克哉氏。

特許権著作権などの知的財産権は、技術革新を促し価値の創造を刺激する道具である。「知財立国」を掲げて制度の整備を努めてきた日本は、いまや知的財産権を単に強化するのではなく、欧米諸国に先駆けて、価値創造を促進するのにより適したルールの構築を目指すべきである。

知的財産権 諸刃の剣に」
知的財産権の制度は、価値の創造を刺激するためにある。特許権著作権と言った権利が創作者に与えられるのは、そのためである。その効果は、しばしば劇的である。

特許によって与えられた権利によってバイオベンチャーなどの隆盛がある。

研究成果が特許権になると期待できて初めて、投資家は発明という不確かなものに投資できる。(中略)
しかし、知的財産権は独占権であるため、一歩間違えると、価値の創造をかえって妨げてしまう。

ソフトウェア特許の是非は結局のところこのバランスをどこに置くかということに帰着する。あまりに当たり前な革新性のない(高度なものでない)ものにも特許が与えられていると技術革新を阻害する要因になる。ソフトウェア開発は既存のソフトの逐次的な改良がほとんどであり、真に技術的先進性、新規性があるものは少ない。もちろん高度なものがまったくないとは言えないがそれは極めて少ない。

「制度整備を巡り各国間で競う」
こうした問題は、世界の先進国に共通している。その中で、日本が実は極めて有利な位置を占めていることは、もっと意識されて良い。米国では、社会を変革するような法の発展が裁判所の判決で行われる伝統がある。(中略)同時にそれは大きなリスクでもある。
(中略)新たなビジネスを手がける者が、社運を賭けた訴訟に臨まねばならないことも多い。未開の荒野に乗り出すものが、自ら道を切り開く仕組みである。
これに対して日本では、国会が作るルールで法が発展する仕組みである。問題をよく見据えた立法がなされれば、個人も私企業も安心して大道を歩むことができる。いわば、公共の手によって通路を整備する仕組みなのである。

この公共の手によって通路が整備される仕組みの受益者は個人、私企業である。この仕組みは私企業でも、経営基盤の盤石な大企業よりもそれが脆弱な中小企業、ベンチャーにとってより好ましい。ベンチャーには未開の荒野に乗り出し自ら道を切り開くほどの体力に乏しいからである。オープンソースコミュニティにとっても同様なことがいえよう。

国会の議決だけで新たなルールを作ることができる日本は、先進国の中で、最も効率的な仕組みを有している。(中略)日本には、世界を先導する知的貢献が求められているといえよう。

この論文の際立つ点は、特許制度整備の観点から我が国のアドバンテージを説いている点である。

こうしてみると、立法作業を先送りにする際の「諸外国の動向を見て」という常套句は、知的財産権の分野においては、日本の国際競争上の利点をはじめから放棄する文句に映る。いまや先進国間では、大規模な予算を投入する公共事業型の競争は影を潜め、個人や企業が市場でプレーするためのルールを整備する制度間競争に力点が移っている。日本が優れたルール作りをためらう理由は何もない。

米国と異なり日本ではサブマリン特許のようなものは公開制度があるので生じない。これはベンチャー企業のように経営基盤が脆弱な企業にとって特許訴訟リスクを避ける意味でも好ましい。そのような観点から日本の特許制度を再評価し、より積極的に活用、制度改革をしていく視点が必要だと思う。