未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

アメリカにしかソフトウェア産業はないのか?

梅田望夫のBLOGhttp://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050520/p1

アメリカにしかソフトウェア産業はない」はid:hyoshiokの持論であるが、「ソフトウェア産業があるアメリカの開発者」にとってのオープンソースの意味と、「ソフトウェア産業がない国々の開発者」にとってのオープンソースの意味は、180度違うのである。特にアメリカにおけるここ30年のソフトウェア産業は、一攫千金の可能性を秘めた世界でもあった。そこに登場したオープンソースという存在に対するアンビバレントな感覚が、アメリカでの議論の底流にある。

ソフトウェア産業アメリカに支配されていると思うが、それをどーにかして、アメリカ以外の国、もちろん日本と言う国で、でも産業としてなりたたせたいなどとわたしは夢想している。クレージーである。ドンキホーテみたいなものである。その一つのツールとしてオープンソースを利用したいと思っている。ソフトウェアはフリーであるべきだという思想のもと行動するフリーソフトウェア運動の人々と微妙に違うスタンスをもつのはその点である。わたしは商用ソフトウェアの存在を否定しないし、技術者としてオープンソース開発も面白いが商用ソフトウェアの開発も面白いと思っている。
日立の偉い人が「中身をいじれる自由」http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/NEWS/20050518/161128/
と言ったときに、わんこ日記さんhttp://on-o.com/page/diary/20050520.html#p01みたいに、

この話している人の会社では、ばりばりプロプラエタリなOS(確かに独自と言い切れるOSは減っているけど)やコンパイラ(COBOLはもちろんJavaなどもある)を販売しているので、多くの開発技術者を抱え込んでいるはずなのに、「外部から調達したものを使用」なんて事を言っちゃうのは、自分が代表としてやっているOSSだからって「よいしょ」が入りすぎていてる気がして少し眉唾ですね。

と言っているけれど、それでもいいと思っているのである。時代の流れとして、そのような多くの開発技術者を抱えこんでいる会社のトップが大きな舵をオープンソースのほうへ切ることをわたしは心から歓迎しているのである。それが日本と言う地域での「ソフトウェア産業」の復興につながるのではないかという淡い期待を持つからである。