未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

地域間格差

日本の均衡なる発展という田中角栄的国土開発モデルというのは21世紀になって破綻した。経済が右肩上がりの成長をする時代が終焉し少子高齢化の時代において日本全国つつうらうら同じ経済モデルが通用すると言うのはありえない。
地域間格差というのがあるのかないのか?それを是とするのか否か?
昭和30年代、20世紀少年のころ新幹線を引くことは善であった。高速道路を日本くまなく引くことは間違いなくいいことであった。高速道路を引き、ダムを作り、駅前のごみごみした長屋を壊し超高層のビルを建てることが国民の幸せに繋がると多くの人は本当に信じていた。
我々の先輩は高度成長の歪に対し卓抜なる適応力によって解決策を見出してきた。(本当か?)
高度成長の歪、例えば環境問題に対し、世界で最も厳しい排ガス規制をクリアしたのは日本の自動車メーカであった。オイルショックの時、いち早く省エネに対応したのも日本のメーカであった。ハイブリッドカーは日本の独壇場である。
日本全国津々浦々行政のIT化というのが叫ばれている。e-Japan構想の下様々な政策が実施されている。あえて問う。行政のIT化の目指すところは何か?それによって日本国民にどのようなベネフィットがあるのか?国民の幸福にどのように寄与するのか?
IT化によってコスト削減が図られ財政赤字の削減に少しでも寄与するというのでもいい。IT化によって今まで提供できなかった行政サービスを安価に提供できるようになるというのでもいい。IT化によって新たな税収が確保できるということでもいい。IT化によってどのようなメリットが国民にあるのか?ないのか?その議論があまりに希薄な印象をわたしは持つ。
税収(歳入歳出)と言うのはある種のゼロサムゲームである。あちらを立てればこちらが立たず。何かをする事は何かをしないことである。政治家は何かをすると言うだけではなく、何をしないかを国民に愚直に問うべきだと思うがそのような政治家は絶望的なほど少ない。
年金を手厚く支給するということは未来の年金受給者からその原資を搾取しているに他ならない。地方に公民館を建てるということはそれ以外の地域から何がしかのものを搾取していることに他ならない。年代格差あるいは地域間格差。あるいは、農業振興という名のもとの税金の投入はそれ以外の産業の振興をなんらかの形で阻害している。それがゼロサムゲームであり、政治によってしか調整できないものである。インターネットの時代、亀井静香が作ったダムと公民館と道路と橋を亀井静香の選挙区以外の国民が見たときどのように評価するのか?未来の国民がどのように評価するのか?
地方のゼネコンを生かすためにはそのような事業、税金の投入が必要であるということを多くの国民が理解し、納得しているのならば問題はない。はたして本当にそうなのか?未来の国民から借金をしてまでそのようなものは本当に必要なのか否か?都市の納税者が納めた税金からそのようなものを作ることが国民の幸せに通じるのか?あるいはサラリーマンが納めた税金を農業振興に使うことを多くの国民が望んでいることなのか?
一度国民(わたし達自身だ)に問いてみたい。
新幹線を作るのではなく、核となる研究所を作る。魚をあげるのではなく魚のつり方を教える。中央が何かをお膳立てをするのではなく、地方がそれぞれの独自性のもと自分の頭で考え自由に政策を実施する。そのためには核となる研究所が必要だ。そしてその研究所には人が必要である。そのような人材を地方は持っているのか?育てているのか?問いたい。