未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

20世紀少年

呑み屋でたまたま隣になった人と意気投合した。話をしてみると同じ学年だ。私が犬年でその人がイノシシ生まれだ。早生まれということになる。ガキの頃の話になって、アポロ11号の月着陸というのが当時の老若男女日本人すべてが経験したエピソードである。白黒のテレビにかじりつきノイズにまみれた月面からの生中継をすべての日本人が固唾を飲んで見守った。

すべての日本人というのは誇張でもなんでもなく、1969年の日本はアポロ11号というアメリカ産のイベントに酔っていた。もちろん政治は日米安全保障条約の更新をどうするかとか学生はストライキをするとかしないとかそのような時代であったが、社会全体で言えば日本人の多くが共有するイベントがそこかしこにあった。団塊の世代は大学生になってベトナム戦争に反対していたが、彼らは長い髪を切りいつのまにかにネクタイを締めて就職をしていった。

1970年には大阪で万博があり月の石を見るために何時間も炎天下に並ぶ人がいて日射病で倒れる人も少なくなかった。アポロが持ち帰った月の石を見ることにどれだけの意義があるのか良く考えてみるとまったくわけがわからないが時代の熱はその石を見ることに価値を見出していた。

団塊の世代がその後いったい何をしたかという評価は分かれるが(わたし自身はかなりシニカルに彼らの世代をみている)時代を共有する何かがあった。それは浅間山荘であり連合赤軍であり、石油ショックの時のトイレットペーパの買占めであり、日本列島改造論の狂乱物価、そしてロッキード事件である。

今の若い人にとっては歴史の授業で習う近代史である。戦後の歴史というのは中学・高校の授業では時間切れになってまじめに教わっていないかもしれないが。同時代に生きたものとして、百人いれば百人の歴史がある。しかし同時代として百人が百人と共有したものでもある。

20世紀少年が同時代の人と歴史を語るとき、ある種の安心感があるのは、アポロ11号の話はすべてのコンテキストを取り払い同じ時代と価値観を共有できるからである。幻想かもしれないがそれを共有できるからである。

少なくともわたしは、いろいろな問題があったとしても科学技術の発展は人々を幸せにするし、月に人が行くことは科学技術の発展であり人類の進歩と平和に繋がっていると子供だったからかもしれないが無邪気に信じていた。もちろん、その当時から環境問題はあったし、水俣ではとんでもない公害が進行していて企業や行政や国や政治はそんなことにはまったく無頓着であったし、多くの人々も同様に無頓着であった。

テレビの人気番組の視聴率は40%を超え、紅白のそれは80%を超えていた。大晦日には家族でこたつにあたりながら紅白を見るのが正しい日本人であった。

多くの日本の家族にはもちろんいろいろな難しい問題をそれぞれ抱えていたのかもしれないが、時代をおおう空気は昨日より今日、今日より明日はよりよくなるという希望があった。それぞれはそれぞれの希望を持っていた。

60年代〜70年代はそのような時代であった。

三丁目の夕日よりちょっと近い過去である。