オープンソースのナゾ
ハッカー倫理について会社のブログで書いた。オープンソースの時代で蘇ったかのようにみえる「ハッカー倫理」はどんなものか「ハッカーズ」を教科書に考えてみた。ビル・ゲイツの公開書簡やフリーソフトウェアへ続くお話である。
ハッカー倫理/ユメのチカラ (http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/09/post_972f.html)
「ハッカーズ」は資本主義の世界ではハッカー倫理は貫けないというエピローグで終わっている。リチャード・ストールマンは世界中にただ一人である。そして彼の試みを紹介しつつも、そこにあるのはハッカーのユートピアではない未来を暗示している。
確かにインターネットが広く利用されるまでは彼の運動は孤立無援、孤軍奮闘であった。
ところがインターネットの時代になって一度はなくなったかに見えたハッカー倫理がオープンソースとともに蘇った。資本主義という経済制度の枠組みと対立するわけでもなく、むしろオープンソースはそれを資本主義とどうにか折り合いをつける形で共存している。
ハッカー倫理は人々を動かす普遍的なものだったのである。
未来に対する希望と誇りがみれらる。