未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

なんで日記を書くのか。

インターネットの時代になって日記を世界に公開している人が劇的に増えた。わたしもその一人だ。最近(っていつのことだよ)ではブログなどと呼んで簡単に日々の生活を世界に情報発信できるようになっている。子供も大人も猫も杓子もブログで情報発信だ。実のところここだけの話、うちの猫もブログで情報発信しているのだが、インターネットの向こう側の人は、猫がブログを書いているなんてことは知る由もない。

ブログでビジネスだ〜なんて類の書籍も本屋にいけば山のようにある。

だからどうした。

別にどうもしていない。

今から12年前にシリコンバレーでぐずぐずしていたころ、ふと思い立って「シリコンバレー日記」なるものを書いてWebで公開した。HTMLのタグをエディタで直打ちしてFTPでファイルをコピーして公開していた。知人にWebで日記を公開しているのだと言ったら、日記と言うのはプライベートなものだろ、公開するなんていうのはクレージーだと言下に否定されてしまった。言い争う気はなかったので、diaryというより航海日誌みたいなもので、作業記録だなとかぶつぶつ言ったような気がする。日本には日記文学と言うのがあってうんぬんかんぬんという理屈を後から発見したのだが、だからどうしたという話である。

未来のいつかというタイトルもマックスヘッドルームというイギリス製のSFテレビ番組にインスパイアされてつけた名前だ。世の中が高度にネットワークされた近未来、TVは視聴率が命でテレビカメラを担いだ主人公が、刺激的な決定的瞬間を捕らえるべくTVカメラで生中継をし続ける。少年ハッカーが主人公を遠隔地から助ける。もちろん無線で常時接続で映像はネットワークを通じて視聴者に届けられている。

それはともかく、なんで日記を書くのか。

人それぞれの動機がある。タレントは自分のプロモーションのために書く。政治家は政治活動のために書く。ふつーの人は暇つぶしに書く。日々の記録を友人と交換するためにmixiを書く。

わたしはなんで日記を書くのか。他の誰でもないわたしはなんで日記を書くのだろうか。

あえてわざわざここで書くまでもないことなのだが、日記と言うのは自分のために書いている。この日記を世界の誰かが読んでくれるとして、それが世界のたった3人だとしても、わたしの言葉に共感や反発を感じるとしても、わたしは誰のためでもなく自分のためにこの日記を書く。

昔の日記を読み返し、過去の自分と向き合って、今の自分がどこまで来たのか、どこに向かうのかを確認し、過去の自分に励まされ、未来の自分を励ますために、今の自分は未来のいつかの自分に向けて日記を書くのである。

ブログの過去ログほど有り難いものはない/404 Blog Not Found

2. ブログは明日の自分自身に書くもの

ブログを肯定的な道具として使いこなしている人を発見できた喜びは大きい。