未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

手紙

昔、シリコンバレー日記というのを書いていた。web.archiveにその残骸を発見できる。
http://web.archive.org/web/19990224131655/www.best.com/~yoshioka/d/95/12/i951226.html文字コードをShiftJISに)

95年12月26日の日記を再録する。

手紙 ー シリコンバレー日記
時々,見ず知らずの方から電子メールをいただくことがある.

これもWWWページのおかげかと思うとちょっとうれしくなる.他人の日記かなんか読んでいて自分と同姓(吉岡)を発見すると,なんかどきどきしてしまう.それでも同姓の方からメールをもらう事のインパクトに比べれば知れているかもしれない.

今日は吉岡正隆さんからメールをいただいた.今年,71歳になる父である.

20代の時,私は父とほとんど話らしい話をした記憶がない.大学を卒業して大学院に行こうと思っていると言ったときも,就職の時も,相談らしい相談もせづ,ぼそっと,自分はこうしようと思っているんだ,と言っただけだった.父の答えは決まって,「おまえの好きなようにしたらいい」というものだった.

結婚して30を越えてから,少しは話をするようになったが,それでも私たちは多くを語っていない.父と話をするのは決まって,私がなんか問題を抱えていて相談に行く時だけのような気がする.私の話をじっくり聞いた後,父は「最後はおまえが決めるのだ」という.この言葉を聞くために私は父と話をしているのかしれない.父の言葉は暖かくやさしい.相談する事で事態が変化する(なんらかの問題が解決するとか)のでないとしたらその時に自分に必要なのはある種の共感であったり励ましであったりあるいは愛情であったりするのかもしれない.

私は父がこのサイバースペースに足をふみいれた事を大変うれしく思う.新しいことにチャレンジする事は大変だったかもしれない.その勇気に敬意を表したい.

私はもっともっと多くの人達特に父の年代の人達がこのネットワークという荒野に来てほしいと強く思っている.彼等の経験とか知恵とかをもっともっと私は聞きたい,そして学びたい.伝える事ができなかったあるいは埋もれていた経験とか知恵をネットワークをかいして私は聞いて見たい.

面と向かって話せない事でもひょっとしたらメールなら話せるかもしれない.自分の息子には話せないことでも,他の同年代の人になら話せるかもしれない.私たちはひょっとしたら世代を越えるメディアを手にしたのかもしれない.

ネットワークには若いエネルギーが満ち溢れている.一方で壁にぶちあたって苦悶している人もいる.若さゆえの挫折なら人生の先輩達のちょっとした励ましがどれだけの元気を彼等にあたえるか.

インターネットを変える可能性を持つのは,もちろん若者だけでなく,71歳の父のような世代でもあるのだ.私はそう思う.

12年前の日記をインターネットのあちら側から発掘する。父は7年前になくなったが、この記録はわたしの記憶と共にインターネットのあちら側に残っている。

インターネットはとてつもない可能性を秘めている。インターネットのおかげでわたしは自分の思い出を12年後に再発見する。そしてこの奇跡をインターネットであなたと共有できるのである。

なんで日記を書くのか。(id:hyoshiok:20071028#p1)その理由の一つをあなたに示したかった。