勉強会はバブルなのか
勉強会はバブルなのか?kanasansoft http://www.kanasansoft.com/weblab/2009/06/metacon2009.html が問題提起している。
バブル経済というは、株価や土地などの資産価格が、経済の基礎的条件から想定される適正水準を大幅に上回る状況を指すことを言う。勉強会によって起業したとか、どこかがそれを事業にしたとか、株式公開をしたとかいうことはないので、勉強会によってバブルが引き起こされているということはない。
経済的な定義で言えばそのとおりなのだけど、確かに半径5メートルの範囲では勉強会は活発に開催されている。実感としてバブルとはいえないけれどプチブームと言っていい状況にはあると思う。
それはいけないことなのだろうか。それは憂慮すべき状況なのだろうか。何か問題があるのだろうか。それを考えたい。
1998年、Linuxがビジネスマンによって発見され、オープンソースと言うマーケティング戦略が開始されたころ、ちょうどITバブルの真っ只中でLinuxをキーワードに様々な会社が起業したことがあった。日本においてもそのバブルはネットバブルとして若干の時間差をおいて発生した。ビットバレーと呼ばれる飲み会が開始されたのは1999年のことであった。
Linuxやオープンソースが生み出す経済的価値をはるかに上回る資産価格を市場がつけ、ITバブルあるいはネットバブルは2000年にはじけた。
Linuxのブームは日本各地にLinux Users Group(LUG)を誕生させたが、当時発足したLUGの多くは今は休眠状態である。http://www.linux.or.jp/community/group/index.html
例外的に活発な活動を行っているLUGもあることにはある。小江戸LUG、TLUG、YLUG、lilo
地域Linux Users Group (LUG)の現状について (http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090206#p1) で記したように、LUGというのは、そもそもしょぼいのである。世界的にしょぼいのである。むしろ、東京界隈に複数の活発なLUGがあって、非常に技術的な議論から、ゆる〜〜〜い、活動報告まで幅広く議論しているほうが世界的にみて特異点なのだ。LUGのガラパゴス諸島なのだ。
だからどーだというのだ。楽しければ続くし情熱を失えば消滅する。それだけのことである。コミュニティ活動とは定義によりそのような宿命を背負っている。
一方で、自分のアンテナに引っかかっていなかった勉強会を発見したのは、間違いなくIT勉強会カレンダーのおかげだ。id:hanazukinの最初の意図が仮に、周りの勉強会の開催スケジュールの調整用だったとしても、製作者の意図とはまったく違った利用のされ方をするというのが、優れたツールの宿命である。好むと好まざるとに関わらずツールは利用されていく。
IT勉強会はバブルなのかブームなのかどうなのか?とか考える
バブルかどうかは知らないし、探せば勉強会があるのは幸せ。
やりたいことがあって、勉強会がなければそういう集まりをつくればいいんじゃない?とも思う。
中略
IT勉強会カレンダーは何をしたのか?
私の趣味になりました。わーぃという感じ。
で、趣味は公開されているものなので、他の人にはやっぱり、個別の受け止め方が出てくる。
- 勉強会の調整にいいよねー<コレは本来開始した目的
- おぉ、こんな勉強会があるのか!面白そうじゃん<たぶん、コレが私の感覚に一番近い
- 土日、どの勉強会に出よう?<コレは意外な使用方法
可視化。といわれるとそうかもしれないけど、網羅してるわけじゃないよ。気付かないのもある。入れないでって言われて入れてないのもある。
IT勉強会カレンダーは図らずも勉強会を発見した。可視化した。Eric Raymondが「伽藍とバザール」というエッセイによってLinuxを発見したという意味において、id:hanazukinはIT勉強会を発見した。そして、id:hanazukinがIT勉強会カレンダーを作ったことによってわれわれもIT勉強会を発見した。
話を戻せば、続いているコミュニティもあれば、いつのまにかに消滅したコミュニティもある。自分がコミュニティを持続させたいと思うのであれば、持続しているコミュニティを研究しそのベストプラクティスをコピーすればいい。
勉強会カンファレンスは、そのようなベストプラクティスを共有するのが一つの目的であった。問題を発見し、それを共有し、議論し、解決策を模索する。
勉強会は孤独ではない。自分は孤独ではない。この問題に悩んでいるのは自分だけではない。コミュニティのコミュニティによってコミュニティ特有の問題解決のヒントを得る。そのようなことが勉強会勉強会では可能だ。
もしわれわれが勉強会をバブルにしたくないと考えているのなら、そうすればいい。一方でバブルを必要としている人がいれば、わたしはそれを持続可能な戦略だとは思わないし、愚かな戦略だと思うので、そのような人には直接間接加担しない。勉強会勉強会が勉強会特有の問題を共有し議論する場であるなら、それがバブルという実体以上の経済価値を生じさせることの空気に水をさす有効なツールであるように感じた。