ハックルベリー・フィンの冒けん、マーク・トウェイン著、柴田元幸訳、読了、濫読日記風 2018、その11
柴田元幸が最近訳した「ハックルベリー・フィンの冒けん」を読んだ。
「ハックルベリー・フィンの冒けん」は「文学入門 (岩波新書 青版)」の読書リストにも載っていたし、いつかは絶対読みたいと思っていた一冊だ。柴田元幸がいちばん訳したかったという触れ込みでもあるし、新訳も出たことだし、早速読んで見た。*1
ハックルベリー・フィンが黒人奴隷のジムとカヌーや筏を使って川下りをするのだけど、ぺてん師などと道中をともにすることになったり、様々なトラブルに巻き込まれたりしながら旅をするというお話だ。途中からトム・ソーヤも出てきて色々な事件に遭遇する。
ハックルベリー・フィンの一人称で語られて行くが、柴田の訳は、ハックルベリーだったらどのような表現をするか、どのような漢字を使うかなどを考えて、ひらがなを多用したものになっている。「冒険」という言葉も「険」は無理でも「冒」は(横棒が一本足りないくらいのことはありそうだが)書けそうな気がする(解説、539ページ)、ということで、「ハックルベリー・フィンの冒けん」と記している。
ちなみに、「冒険」の「冒」は小学校の時に習わないが、「険」は5年生の時に習うので、ハックが小学生だとすると「ぼう険」と記しそうであるが、小学校には行っていないけど、中学生になってから学校に行って冒の字は習ったので「冒けん」と記したとか記さなかったとか。(とかいう話を某所で開催された「ハックルベリー・フィンの冒けん」読書会で、柴田さんが言っていた。)
現代の視点からいうと結構ひどいエピソードが満載で、ハックの親父は酒飲み(酒乱)で、息子(ハック)に金をせびりに来るし、暴力は振るうし、最低なキャラだし、ハックも一緒に旅をする黒人奴隷のジムに対して、微妙な感情を持っていて、他人の奴隷を勝手に自由にしてしまうことはいいことなのかという「良心の呵責」を感じている。
単なる少年活劇という枠組みだけには収まらない人間ドラマがある。
筏で川を下って行くというロードムービーなのだけど、ハックの生命力、バイタリティがすごいなと感心した。自分だと3日も持たない、すぐに根を上げてしまいそうだ。野宿して食い物を調達して生き延びる。ハックは自由人だ。旅人そのものだと思った。
途中でトム・ソーヤが出て来るが、めんどくさい奴という印象だった。
「ハックルベリー・フィンの冒けん」を読んだついでに勢いで「トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫)」も一気に読んだ。こちらはトムが主役だ。物語としては、「ハックルベリー・フィンの冒けん」の方が魅力的だ。
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