未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

まとめ、濫読日記風 2018、その63

2018年も濫読した。年初には50冊くらい紹介できればいいかなと思っていたのだが、10月末の段階で濫読日記風はその15までしか行ってなかった。(ゲーデルエッシャー、バッハを除けば60冊紹介したことになる。)

濫読そのものは続いていたので、はてな日記に書くのが滞っていた。図書館で借りて感想を記さなかった本もいくつかある。読了した時点で、短くてもいいので簡単な感想を記しておくべきだなと思った。流石に半年どころか一月も経つと何を読んだかすっかり忘れているので記憶を定着させる意味でもすぐに書くのがいい。

図書館の本はパラパラめくる系で熟読したり読了したりしないものも少なくないので、それも何らかの形で感想を記すのもいいかなと思った。

読書に対してはもっと色々なアプローチがある。

この日記は自分のために記しているので、本の紹介といっても新刊の書評サイトという風ではなくて、あくまで自分向けの備忘録である。

とはいうもののせっかくなので今年紹介した本の中で印象に残った本をいくつか選んでみたい。

今年も小説やら技術書やらビジネス書などジャンルを問わず濫読した。本当はもっと文学を読みたいのだけど、長編は時間がかかるので読了数を稼げない。

ハックルベリーフィンの冒険」*1は面白かった。今読むと酷い話というのは古典を読むとよくあることで、本書もエピソードは酷いのだけど、ハックのサバイバル力がなかなか痛快だった。

「幽霊たち」*2柴田元幸訳で面白かった。今年は柴田訳を色々と読んだ一年だった。

「大いなる眠り」*3村上春樹訳だ。自分にとって初レイモンド・チャンドラーだ。主人公「フィリップ・マーロー」は33歳独身である。モテる。他の作品も読んでみたいと思った。

技術書は大して読んでいないが一押しは「RISC-V原典」だ*4。多くの人にとってコンピュータアーキテクチャは興味の中心でもないだろうし、仕事に直接関わることも少なそうだ。だからこそ教養としてRISC-Vについて知っておいてもいいと思うが、余計なお世話である。

ノンフィクションの近刊で面白かったのは「花殺し月の殺人」*5だ。事実は小説より奇なり。西部劇ではインディアンは悪者だが事実は逆だ。白人が悪事を尽くす。

歴史関連では「歴史とは何か」*6、「歴史の進歩とはなにか」*7が面白かった。史観では「情報の文明学」*8が21世紀の情報化時代にこそ再評価されるべきだと思った。「銃・病原菌・鉄」*9をひとことで表すならば「歴史は、異なる人々によって異なる経路をたどったが、それは、人々の置かれた環境の差異によるものであって、人々の生物学的な差異によるものではない」ということらしい。従来の西洋史観が強奪者・殺戮者のものだったことを考えると随分と進歩したものだ。「MARCH非暴力の闘い」*10は1960年代米国公民権運動の当事者の物語だ。

産業化社会が製造業を中心とした企業群から情報産業に移行していく。「EVと自動運転」*11自動車産業が100年に一度の変化に直面していることを示している。製造業はビジネスモデルの変化に対応できるだろうか。

失踪日記2アル中病棟」*12インパクトがあった。アル中で入院するというのもすごいが数々のエピソードがすごい。自分はアル中にならないでよかったとおもった。

「自由と規律」との出会いも不思議な縁であった。イギリスの全寮制パブリックスクールの物語だ*13。東北への旅に出て本書に出会った。岩波新書のおかげで父と対話できたような気分だ。

まだまだ読んだ本について語りたいことがあるが長くなりすぎたのでこのくらいにする。

読書会

今年は読書会をきっかけに様々な本とであった。

読書会という形式も様々ある。1)課題図書をみんなで読む、2)自由に紹介し合う。

1)の課題図書をみんなで読むというのは、担当者を決めてそのひとが担当部分を解説し、議論するという形式もあれば、全員で読了して、読了を前提として議論するという形式もある。

前者は担当部分を解説するのでしっかりと読み込んでいないといけないので、その部分の理解が非常に深まる。自分も主宰者の一人の「ゆるゆると『ゲーデルエッシャー、バッハ』を読む会」(ゆるげぶ)はその形式であり、勢いが余って『ゲーデルエッシャー、バッハ』を楽しみながら紹介する『ゲーデルエッシャー、バッハの薄い本』なるものを製作してしまった。技術書典にも出展して同人作家デビューを果たした。

後者の読了前提の読書会は、小説を読んでみんなであーだこーだ感想を言うものから、一般書(技術書やビジネス書)を読んで議論するものなど幅広い。本の数だけバラエティーがある。ドストエフスキーの5大長編は読書会があったので、それをきっかけに読了した。FEDという読書会もこの形式が多い。

課題図書は課題図書として作者の招いてのイベントや特に読了を前提としないでセミナー形式なものもある。

2)の自由に紹介し合うと言う形式は、ビブリオバトルのように本を紹介して、どれだけ読みたいと思ったかを投票するものや、単に自分の好きな本を持ってきて語るものまで様々だ。

日頃自分が絶対手に取らないような本が紹介されるので読書の幅が広がるメリットがある。

課題図書を読む形式だと、他人の読み方や解釈を聞けるので自分の読み方や視点との違いがわかって自分の読み方の幅が広がる。マルセル・プルーストは「本当の旅の発見は新しい風景をみることではなく、新しい目をもつことにある。」と言ったそうだが、読書によって新しい目を持つことができれば僥倖だ。

読書会をすることによって自分の読み方を広げるメリットは大きい。

論語の読書会は、岩波文庫論語」を読むのだけど、「子(し)の曰わく(のたまわく)、学びて時にこれを習う…」をひと段落ひと段落音読するという形式である。この素読の読書会に参加して初めて読書の身体性を意識した。何だかよくわからないけど、音に出して読む。同じ部分の日本語解説も音読する。「先生が言われた。学んでは適当な時期におさらいをする、…」。それを繰り返す。時間はかかるが読書を味わう感覚がある。

この素読という方法によって自分の読み方が広がった感覚を持った。

論語の読書会の素読の経験がなければ「蘭学事始」の理解も随分浅いものになっていたのではないかと想像する。

数学系の本などもじっくり読んでみたいと思う。ゆるゆると難読書を読む会(ゆるめな)をゆるげぶをやった白石さんたちとやっているところである。

濫読日記風 2018

*1:ゲーデル、エッシャー、バッハ、第20章、六声のリチェルカーレ、訳者あとがき、訳者紹介まで読了、ダグラスRホフスタッター著、濫読日記風 2018、その15 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*2:幽霊たち(新潮文庫)、ポール・オースター著、柴田元幸訳、読了、濫読日記風 2018、その37 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*3:大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)、レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、読了、濫読日記風 2018、その50 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*4:RISC-V原典 オープンアーキテクチャのススメ、デイビッド・パターソン&アンドリュー・ウォーターマン著、成田光彰訳、読了、濫読日記風 2018、その58 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*5:花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生、デイヴィッド・グラン著、読了、濫読日記風 2018、その25 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*6:歴史とは何か (岩波新書)、E.H.カー著、清水幾太郎訳、読了、濫読日記風 2018、その52 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*7:歴史の進歩とはなにか (岩波新書 青版 800)、市井三郎著、読了、濫読日記風 2018、その54 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*8:情報の文明学 (中公文庫)、梅棹忠夫著、読了、濫読日記風 2018、その53 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*9:銃・病原菌・鉄、ジャレド・ダイアモンド著、読了、濫読日記風 2018、その12 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*10:MARCH 非暴力の闘い、ジョン・ルイス著、読了、濫読日記風 2018、その23 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*11:EVと自動運転、鶴原吉郎著、読了、濫読日記風 2018、その19 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*12:失踪日記2 アル中病棟、吾妻ひでお著、読了、濫読日記風 2018、その13 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

*13:自由と規律、池田潔著、濫読日記風 2018、その6 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

マイクロソフト 再始動する最強企業、上阪徹著、読了、濫読日記風 2018、その62

マイクロソフト 再始動する最強企業を読んだ。

GAFA(Google/Amazon/Facebook/Apple)という言葉がある。初の1兆ドル企業となるのはどの会社か。この四騎士に続く企業は何か?中国系企業か?それとも新興のネット企業か?

マイクロソフトはその候補の一つである。

創業社長(ビル・ゲイツ)は早々に引退しているが(急成長している企業の多くはAppleを除けば創業社長が実権を掌握して迅速な経営をしている)、三代目CEOサティア・ナディアはビジネスモデルを変え圧倒的な存在感を示している。時価総額も一時期Appleを抜いた。

日本では古いイメージしか知られていないが本書は最近のマイクロソフトの強さを紹介している。


濫読日記風 2018

蘭学事始 (岩波文庫)、杉田玄白著、読了、濫読日記風 2018、その61


蘭学事始 (岩波文庫 青 20-1)を読んだ。

なんで「蘭学事始」を読もうと思ったのだろうか。*1

玄白がこの回想録を書いたのは、83歳のときだそうだ。(4ページ)

蘭学事始」が野上豊一郎の校注で岩波文庫に加えられたのは昭和5年(1930年)7月で、その後緒方富雄の校注で昭和34年(1959年3月)に改版が出版された。それから20年あまりで版を重ねて、発行部数は約19万部に達したそうである。本書は岩波文庫(1982年第28刷改版発行)の新版である(新版の刊行にあたって、3ページ)

200年余り前の玄白の書を読めるというのも奇跡だが、それが岩波文庫で600円(税抜)という廉価で入手できるというのもすごい。岩波文庫はロックだ。

玄白というすごい人の回顧録を若い世代に伝えようとするその気概が岩波文庫という形式にほとばしっている。

本書は玄白が若き日の自分の蘭学研究を回想するという形式をとっている。医学書ターヘル・アナトミア(解体新書)」を翻訳するところがすごい。

明和八年(1771年)春頃、ターヘル・アナトミアと出会うが一字も読むことができない。(29〜30ページ)
そんなとき、千住骨ヶ原(当時の刑場の一つ、現在の荒川区南千住五丁目あたり)で死刑囚の腑分け(解剖)をするらしいと聞きつけそれを見学に行く。そしてターヘル・アナトミアの正確さに驚き、帰路、前野良沢中川淳庵杉田玄白らは翻訳をせねばならないと語り合う。(37ページ)

辞書も何にもない時代の翻訳作業は困難を極めるが、約3年苦労を重ね翻訳を完了する。それが「解体新書」となる。玄白42歳、安永三年(1774年)のことである。

本書は文語体なので慣れないとなかなか読みずらい。それでも漢字は新字体、新仮名遣いでふりがなや註・解説・年表も充実しているため、自分のような素養のない人間でもどうにかこうにか辛うじて読んだ。

蘭学事始が世間に広く知られるようになった経緯については明治23年(1890年)第1回日本医学会総会の機会に再版した序文に福沢諭吉がそれを記している。原稿は杉田家に秘蔵されていたが、安政二年(1855年)江戸大地震の火災で焼失。露天で神田孝平氏が偶然写本を発見した。「かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艪舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋(ぼうよう)として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり。」(38ページ)のくだりで諭吉は感涙したとある。(157ページ)

蘭学事始はロックだ。読めてよかったと思う。再読したいと思った一冊である。


濫読日記風 2018

*1:論語の読書会に参加したことが一つのきっかけだと思うのだけど記憶は定かでない。東北方面への行き当たりばったりの旅のお供にリュックに入れて読んだ

不安な個人、立ちすくむ国家、経産省若手プロジェクト著、読了、濫読日記風 2018、その60

FEDという主に経済書・ビジネス書を中心に取り上げている読書会の課題図書なっていたので不安な個人、立ちすくむ国家を読んだ。読書会にも参加した。

本書の元になっているものは経済産業省の若手官僚がまとめたレポートで2017年に発表されるやネットでは話題騒然になった。私も早速ダウンロードして読んだクチである。下記からダウンロードできる。
「不安な個人、立ちすくむ国家」

様々な反響がありメディアでも大きく取り上げられた。
「立ちすくむ国家」経産若手官僚の警鐘(前編) | 文春オンライン

本書はその元となったペーパーと若手官僚へのインタビュー、著名人との座談会(解剖学者の養老孟司氏、企業再生のスペシャリスト、経営共創基盤代表取締役CEO冨山和彦氏、批評家の東浩紀氏)からなる。

官僚が感じる問題意識は漠然と多くの人が知ってはいた問題かと思う。大きな問題にも関わらず、個人としてどのように自分ごととして関わればいいのか全く見えない、一方で政治や国のシステムとして対処できるかというと一向に先行きが見えない、そんな感じがタイトル「不安な個人、立ちすくむ国家」に表現されている。

時代遅れの制度を変える様々な提案は出てきている。それを実現する段階(34ページ)だがなかなか進展していない。

例えば、子供や教育への投資を財政における最優先課題に(38ページ)というお題目はあっても遅々として進まない。
ネットでは「具体的な政策への落とし込みが足りない」(48ページ)というような批判的な意見も多かったようだ。

自分ごととしてどうすればいいのか。人生100年時代、どう生きればいいのか?半径5メートルで考えてみるきっかけに本書はなる。日本のシステムという大きな主語ではなく、自分ができる半径5メートルのことがらを考えると本書はマクロな傾向を示す精度の高い地図になる。

人口動態なんかは10年単位だし、制度が変わるのも数年単位なので、変化が早い時代においては、この制度や仕組みが変わる遅さを理解した上で本書を先行きをみる地図としながら、自分ごととして歩んでいく。

平たく言えば仕組みに頼らないで自分で生きていく(国にはあんまり頼らない)という身も蓋もない話になる。その上で今ある制度を十分理解した上で使いこなすということだと思う。(年金なんかはあてにならない。だけど選挙にはいく)

本書を読んだのは一年くらい前なのだけど、付箋を貼ってあった場所をもう一度読み直してみると再発見があっていろいろと面白い。

半年前ですら自分がまさか定年退職して大学院博士課程の学生になるなんて想像もしなかったのである。もちろん定年であるというのは理解していたけど、その後の進路は全く白紙状態だった。そんな自分が学生になって研究活動を始めるという。この面白そうなことをやってみるという行動指針が不確実性の時代のサバイバル戦略なんじゃ無いかと本書をパラパラ読み直しながら思った次第である。

本を読んで自分の人生に照らし合わせてみる。もう一度、読書会をしてみたいと思った。


濫読日記風 2018

遅刻してくれて、ありがとう(上、下) 常識が通じない時代の生き方、トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳、読了、濫読日記風 2018、その59

遅刻してくれて、ありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方遅刻してくれて、ありがとう(下) 常識が通じない時代の生き方を読んだ。

タイトルがいい。「遅刻してくれてありがとう」

著者はフラット化する世界 [増補改訂版] (上)フラット化する世界 [増補改訂版] (下)トーマス・フリードマンだ。

世界は幾何級数的に変化している。ムーアの法則を我々は知っている。半導体の集積度が18ヶ月で倍になるというアレだ。

変化がとてつもない勢いで加速している。我々はどんどん忙しくなってきている。

待ち合わせで時々相手が遅れることがある。10分、15分、相手はかならず慌てていて、座ると同時に謝る。「地下鉄のレッド・ラインが遅れて………」、「目覚まし時計が故障して………」。ある時、相手の遅刻がちっとも気にならないことに、ふと気づいて、私(フリードマン)は行った。「いや、やめてくれ、謝らないでほしい。それどころか、遅刻してくれて、ありがとう」(15ページ)

遅刻した相手をイライラして待つのではなく、自分のための時間を作ることができたとフリードマンは言う。じっと考える時間が見つかった。

冒頭のエピソードが面白い。「遅刻してくれてありがとう」。そんな時代に私たちは生きている。

変化は加速している。2007年に何が起きたのか、ムーアの法則、スーパーノバ、市場、母なる自然。

変化をすることが前提になる社会で生きている。変化に対応するために学び続けないといけない。仕事も組織も変化していく。

ヒントに満ちた良書だった。

濫読日記風 2018

RISC-V原典 オープンアーキテクチャのススメ、デイビッド・パターソン&アンドリュー・ウォーターマン著、成田光彰訳、読了、濫読日記風 2018、その58

RISC-V原典 オープンアーキテクチャのススメを読んだ。

RISC-Vは全くもって門外漢なのだが、本書はとても読みやすかった。久しぶりに未知のアーキテクチャーの参考書を読んだ。

著者らによるRISC-Vの入門書は以下になる。「Computer Organization and Design RISC-V Edition: The Hardware Software Interface (The Morgan Kaufmann Series in Computer Architecture and Design) (English Edition)」。日本語訳はまだ出ていない。勢いでこちらの書籍も購入してしまった。

RISC-VはRISCの提唱者のパターソンらが数々の商用アーキテクチャを研究し尽くし、その問題点を解決したアーキテクチャである。

1章でRISC-V開発の動機を語っている。IntelX86アーキテクチャに代表されるものは、過去の互換性に縛られたインクリメンタルISA(Instruction Set Architecture)方式によって開発された。新しいプロセッサを開発する際には拡張した部分の新しいISAだけではなく、過去のすべての拡張も実装しなければならない。(4ページ)

x86は1978年に登場した時に80命令だったのが、時と共に命令数は増大し、2015年には1338命令になっている。(図1.2 x86命令数の推移、3ページ)

ISAマニュアルのページ数もRISC-Vに比較して10倍以上である。(13ページ)

ISA ページ数 語数 読むのに必要な時間
RISC-V 236 76,702 6
ARM-32 2736 895,032 79
x86-32 2198 2,186,259 182

RISC-Vは過去のアーキテクチャー設計者がおかした様々な誤りを直したものということになっている。有名なところでは、分岐における遅延スロットは採用していない。

RISC-Vの仕様はオープンソースなので自由に利用できる。RiSC-VがLinuxのように広く普及するかどうかは未知数ではあるが、ハードウェアの分野でこのような試みがなされることは興味深い。

本書の分量は200ページほどで、その設計思想などをわかりやすく記述しているので、マニュアルを読む前段階として、気楽に読める。

本書とともに、マニュアルと前述の入門書「Computer Organization and Design RISC-V Edition」を押さえておけば、RISC-Vの概要の理解は十分得られる。

参考文献なども十分載っているので、楽しみながらコンピュータアーキテクチャについて学べる良書だ。オススメである。


濫読日記風 2018

オン・ザ・ロード (河出文庫)、ジャック・ケルアック著、青山南訳、読了、濫読日記風 2018、その57

オン・ザ・ロード (河出文庫)を読んだ。

アメリカのロードムービーだ。

主人公は、酒を飲んで、セックスをして、旅をする。時代は第二次世界大戦後。

本書を読んで米国を車で横断したいと思った。東海岸から西海岸まで行って、またぐるっと東海岸に戻ってくる。特に目的もなく全米を往復する。そんな旅をしてみたい。


濫読日記風 2018