未来のいつか/hyoshiokの日記

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『学術書を書く』、『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)』読了、濫読日記風、その11

東大駒場リサーチキャンパス公開2017に行った。東大生産技術研究所など研究成果を一般公開するイベントだ。中高生なども見学に来ている。最先端の技術が展示されていて面白かった。来年は丸一日遊びに行こうと思った。喜連川先生もお元気そうで何よりでした。*1

生協の売店で「学術書を書く」と「できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)」を見つけた。

先日、「理科系の作文技術(中公新書)」を紹介する機会があって、その話のネタに仕事のための作文技術などの書籍をあれやこれやサーベイした。その影響で、未だに作文方法などの書籍に目がいってしまう。

学術書を書く」は、京都大学学術出版会の編集長らが、主に大学人(研究者)を対象に専門分野の学術書を記す意義、その具体的な方法などを紹介している。

研究者は成果の公開の手段として印刷物による専門雑誌(学会誌)、学術書などを出版するが、そこには幾つかの問題があるという。

すなわち内容が著しく狭域化して、出版されるが誰も読まない状況が出てきた。詳しくは序章に譲るが、米国では学術書の出版が研究者の終身在職権の道具として扱われている(3ページ)という状況がある。そのため、博士論文をそのまま出版するなど、読者を極めて限定して、専門家以外全く読まないような出版物が多いという。

また、電子化時代においては、印刷媒体としての学術雑誌や学術書が相対化したという(11ページ)

それは、印刷媒体しかなかった時代には、何を書くかということに関して、それなりの敷居の高さがあり、学術ライティングのノウハウも蓄積されていて、編集による価値の担保もなされていた。しかし、電子化時代においては、そのような読者は誰なのか、「売り」をどう打ち出すかという企画の仕方、あるいはどうしたら可読性が高まるかという点について十分なレベルにない(12ページ)

学術書にまつわる出版事情から、学術書の今日的役割と要件、企画と編成、可読性を上げるための本文記述、タイトルと索引、入稿と校正の作法などなど、内容は網羅的である。

オススメの一冊だ。

「できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか」は米国の心理学者がいかに多量に論文を書くかというノウハウを記したものだ。

第2章がすごい。言い訳は禁物ー書かないことを正当化しないとして、「書く時間が取れない」「もう少し分析しないと」「文章をたくさん書くなら、新しいコンピュータが必要だ」「気分が乗ってくるのを待っている」などなどの書かない言い訳、書けない言い訳をあっさり粉砕している。

毎日執筆時間を決めて、その時間には執筆に専念しろという。毎日書く。それだけだという。

これは間違いなく正しい。正しいことだけど、作文技術の教科書にはおそらく誰も記していなかったことなのではないだろうか。画期的だ。騙されたと思って読んでほしい。すごい本だ。

東大生はこんな本を読みながら研究して論文を多数発表して学術書を書いているのだろうか。それができれば苦労しないという声が聞こえてきそうだが、それができない人は研究者にはなれないのだろうなあとも思った。いやはや身も蓋もない。




濫読日記風