未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

習って覚えて真似して捨てる、真藤 恒、読了

かつて日本電信電話公社というのがあった。NTTの前身である。その最後の総裁で新生NTT初代社長真藤恒の著である。図書館で借りて読んだ。

1910年(明治43年)生まれで、石川島播磨重工業(現IHI) では社長を務めた。当時としては画期的な手法で数々の船舶を建造した。1981年に電電公社の総裁になった。

習って覚えて真似して捨てる」は、真藤を囲む「おしゃべり会」を持ち、そこでの内容がまとめられた。読みやすい構成になっている。*1

「脚下照顧」、自分の欠点を自分で見つける力をもてるように修行せよ、ということらしい。それは真藤の口癖「習って覚えて真似して捨てる」と相通じるらしい。

「経営とは先輩から習ったものを、片っ端から捨てていくことの連続であり、現状をどう変えるかがポイントである」(44ページ)

「1950年ごろから65年にかけて、船の建造期間が大幅に短縮され、それまでと比べ三分の一ないし四分の一になった。その成功をみて、真っ先にやってきたのが建築関係の人たちであった」(57ページ)

「私は今コンピュータのソフトウェアについてやかましくいっているが、これと同じこと(標準化、共通部品化)がいえる。このモジュール化、標準化ができて初めて、コンピュータの中で手作業なしでSE(システム・エンジニアリング)に沿ったプログラムができるようになるはずである」(65ページ)

本書は日経BPのウェブ記事『真藤恒の技術経営を学ぶ』をみて真藤恒に興味を持ったことをきっかけに読んだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110524/220092/?rt=nocnt

真藤はソフトの重要性を理解していて、電子交換機の制御ソフトの内製化を命じたそうである。当時のNTTでは電々ファミリーと呼ばれる協力会社に全て外注していた。

1985年、NTTの初代社長に就任した真藤氏は、NTTのソフト設計・開発力を強化するため、電子交換機用ソフトを内製する方針を打ち出した。電電公社の時代、ソフトの開発は交換機メーカーに丸投げであった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110330/219228/

―― 交換機ソフトを内製せよ、という真藤さんの意図は何だったのでしょう。

 石井 1981年に電電公社の総裁に着任された真藤さんは、電話だけの商売では電々の先行きは暗い、新たな飯の種を仕込んでおく必要があると直感したようです。間近に迫る21世紀には、社会生活の至るところにマイクロコンピューター(マイコン)が浸透し、これらがネットワークで結ばれ、世の中はソフトによって良くも悪くもコントロールされる。電話もマイコンとネットワークとソフトの世界に吸収されてしまう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110330/219228/?P=2&mds

世界はソフトでできている。

そのようなパラダイムに我々はいる。30年前に「プロセッサーとソフトの時代」を予見していたのが真藤である。

本書を読んで明治の人がどのような職業観を持っていたか、もっと知りたいと思った。



*1:おしゃべり会のメンバーは川口順子(通産省)、北村節子(読売新聞社)、六角聡子(国連大学ファンド)、上之郷利昭(ノンフィクション・ライター)、佐藤亘(石川島播磨)、赤木邦夫