未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

老人読書日記、新藤兼人著、読了、濫読日記風 2018、その24

老人読書日記 (岩波新書)を読んだ。

映画監督の新藤兼人が88歳の時(2000年発行)に記した読書日記だ。妻を亡くして一人で生きる老人(身につまされるね)の生活。

若き日の京都(1942年頃)、古書店とのほのぼのとしたやりとりとか印象的だった。西田幾太郎「善の研究」が青春の証だ。巨匠は何を糧に人格を形成したのか。その片鱗を見る。自分も古典に親しみたい。

盛岡から軽便鉄道岩手山の麓の雫石へ行くのである。
妻がよく言ったものだ。
軽便鉄道が走ると、小岩井牧場の子馬が汽車と一緒に走るの」(23ページ)

映画監督・シナリオライター・作家の目から様々な作品を読み解いていく。それはラスコーリニコフであり、荷風断腸亭日乗であり、漱石や子規などである。作品の中に「私」を発見していく。

私とは何かを読み解く読書となる。

最近の作品も紹介している。村上春樹訳「心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)」。凶悪犯の兄のことを四人兄弟の末弟が書いた。

どれもこれも新藤兼人の解説が面白くてすぐにでも読みたくなる。既読のもの(例えば罪と罰)はこのような視点から読むのだなあという発見になるし、未読のものは、その作品の魅力を様々な角度で伝えてくれるので興味がわく。非常に効率的な積読製造器になっている。やばいよ。気がついたら「心臓を貫かれて」を買っていた。


濫読日記風 2018