OSSとバザールモデル
ふむ。確かに分かりにくい表現をしたかもしれない。
わたしはソフトウェアのライセンス形態としてのOSSとソフトウェア開発モデルとしてのバザールモデルというのを自分の中では明確に区別しているのであるが、その差を明示していないときがよくある。反省します。(ぺこり)
OSSをライセンスとしてとらえれば、ソースコードを公開し、自由に利用、変更、再配布を許可するようなライセンスという感じである。商用ソフトウェアの多くはソースコードを非公開にし、もちろん変更再配布は認めない。そしてオープンとクローズの混合という状況も日常茶飯事であって、デバイスドライバなどをクローズなモジュールとして、OSSと組み合わせるというのはよくある事例である。
なので、
特に大企業ではうまくオープンソースとクローズドソースを組み合わせるというノウハウが確立されてきている気配があります。
http://d.hatena.ne.jp/mowamowa/20070115
は、わたしも否定はしていないし、ご指摘の通りなのである。
でもって、わたしが、バザールモデルと言っているのはソフトウェアのライセンスの話ではなくて、OSSを前提とした多数の自立的な主体が自立的な判断のもとに協調作業によってソフトウェアを開発するというソフトウェア開発モデルのことなのである。
商用ソフトウェア開発では、多数のエンジニアが開発に関わるが、自立的な主体が自立的な判断のもと開発するのではなく、ある主体が単一の意志の元(通常プロジェクトマネージャがそれを代表する)、統一的な管理主体が存在しソフトウェアを開発する。
バザールモデルはそのような開発形態と全くもってことなる開発スタイルなのである。
バザールモデルでは単一の意志というのがなくてコミュニティに参加している主体(個人であれ企業であれ)がそれぞれの意志(やりたいこと)のもと、勝手気ままに振舞っているように見えても協調作業によって開発していく。
このようなスタイルが持続するためには、自発的な参加者がある一定以上存在し、価値を持続可能な形で生産し続ける必要がある。
仮にフリーライダーがいたとしても、それ以上に自発的な参加者が価値を提供し続けるという環境が必須である。
わたしが指摘したのは、共有地の悲劇として知られる、フリーライダーが価値を生産する人たちより圧倒的に多い状況のことである。バザールモデルが上手に回っている状況では、価値提供者が自立的に価値を再生産している。
というようなことを言いたかったのであるが、分かりにくかった。
オープンとかクローズとかは別にどーでもよくてバザールが発生するような環境とか状況って何?みたいなことを議論したかったと。
クローズでバザールが発生するというのはちょっと考えにくいのだけど。
でもって、バザールモデルの革命性というのは、リチャードストールマンの思想とはかなり直交している部分があって、それは別途記したいと。
あと、企業のお金を持っている人(いわゆる経営的判断をする人たち)にどうプレゼンするかということに関しては、また別のテクニックがあるというのもご指摘のとおりである。