未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

モダンタイムスとか

怒涛の大阪出張の疲れでぐんにゃりしているかというと、意外とそうでもなく、いろいろあったことを反芻する。最近では勉強会エバンジェリスト(笑)として勉強会のマーケティング活動に勤しむ日々をおくっているのだが、それよりは直近のrubyのバグをなんとかしたいとか、どーでもいいことに心をうばわれている。

ネットアイドル(笑)mochikoAsTechが読めというものだから、伊坂幸太郎著、モダンタイムズを読んだ。

モダンタイムス (Morning NOVELS)

モダンタイムス (Morning NOVELS)

街を歩いていたら、若いかわいい女の子にいきなり声をかけられて、気がつくを壺を売りつけられていたようなものであるが、もちろん壺を売りつけられるのはいやだが、できれば綺麗な女性に声をかけられたいという願望は常にあったりするし、「ペンキ塗りたて」の表示をみると、ついつい人差し指でつんつんしたくなる性格なもので、新大阪の駅地下で、のぞみの待ち時間が小一時間あったので、早速購入した。

のぞみはN700系で窓際でコンセント確保というのが最近学習した新幹線の移動のコツなので、19時前に新大阪に到着したのではあるが、確実にコンセントが確保できる次のN700である20時発の座席指定をとって、小一時間ぶらぶらすることにした。

串焼きセット1575円なりは、ものの15分くらいでたいらげてしまって、ここでビールのおかわりも、あれだしどーすっかなと考えていたところ、ふと、そうだ伊坂幸太郎の本を買いに行こうと思いたった。串焼き屋で本屋の位置を聞いて、伊坂幸太郎なんて読んだことないし、知らない本屋で所望の本がはたして買えるか若干不安であったのだが、店の入口に平積み、一番いい場所にどでーんと陳列されていた。不安は全くの杞憂であった。

本を購入し、やることもないので、とっとと改札を入り、駅のベンチで次ののぞみを待つ。本に夢中になって、電車を乗りそこなったらあほだなと思い、待合室ではなくホームのそれも乗りこむ号車のベンチで本を読みながら時間をつぶした。

自宅のマンションに見知らぬ男がいるというのも相当荒唐無稽だが、小説というのはいかに荒唐無稽なストーリーを読者に信じさせるというものなので、それはそれとしておいておく。というか伊坂幸太郎という作家はいったいどのようなジャンルの作家なのかという予備知識もなくいきなり読みはじめたわたしもわたしであると思いつつ、本の読み方としては悪くない。

妻に浮気を疑われている男が主人公なのであるが、読めば読むほど、妻が怖い。これ以上書くと殺されてしまうのではないかと思うほど、妻が怖い。殺されないとしても確実にひどいことになるのではないだろうかという感じが怖い。

人は知らないことがあったら、検索をする。それはこのせいぜい数年のことだ。10年前は、そのようなことは一般的ではなかった。いまでは昔から、そーしていたように検索をしているが、それが未来永劫続くのか、続かないのか。インターネットで検索した結果が正しいのか正しくないのか。一体誰がどのような根拠でそれを判断するのか。

自分に関する情報を検索して、自分が書いたりしゃべったりしているものを再発見して、それを他の人がどのように解釈するか。自分が投じたものの波紋がゆるやかに伝搬していく。

作中の小説家、井坂好太郎(ふざけた名前だ)が言う「だから、考えを変えた。一人くらいに。小説で世界なんて変えられねえ。届くかもしれねえ。どこかの誰か、一人」(364頁)

どこかの誰か、一人に届くかもしれない、それだと思う。

例えばだ、KoFで、はてなid:naoyaが話をする。彼が作ったものを彼が解説する。彼が当事者として話をする。どこか誰かの評論家が適当なことを言うのではなく自分が作ったものを自分が話す。小説家は小説を書き、プログラマはプログラムを書く。それだけのことである。それだけのことが、どこかの誰か、一人に届くかもしれないし、届かないかもしれない。だけど、当事者が話をする機会があり、それをわれわれが当事者から直接話を聞けるということは幸せな事なんじゃないだろうか。誰かからの伝聞ではなく直接聞くということはとっても重要なことなんではないかと思ったりする。

小説家が小説を書かなければ、プログラマがプログラムを書かなければ決して世の中に伝わらない。声に出さなければ伝わらない。未来の芥川賞作家に伝える言葉があるとしたら、小説を書けということだ。未来のハッカーに伝える言葉があるとしたら、プログラムを書けということだ。

のぞみでは一心不乱に本を読んでいたので、ノートパソコンは開かなかった。電源が利用できる席である必要はまったくなかったのだけど、後悔はしていない。

あとがきに、参考・引用文献が載っていた。そこには、「ウェブ人間論」があった。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)