未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

そろそろ勉強会について一言いっておくか。

自称勉強会マニアと呼ばれている@hyoshiokです。(それって自称じゃないじゃん。セルフツッコミ)

それはともかく、勉強会の達人は「勉強会に勉強しにいくのは素人」とか、勉強会はあくまで手段であって目的ではないとか、勉強会マニア(苦笑)とか、まあいろいろ言っているわけであるが、わたしも勉強会について一言いっておく。

勉強会は主催者発表者参加者それぞれの思いがありそれぞれ渾然一体となって出来上がっているから同じものは世界に二つとないし、同じ主催者の勉強会でも毎回毎回微妙にことなるライブなセッションである。十人十色である。

なので、勉強会はなになにでなければいけないとかなになにであるべきだというものは一切ないし、自分が「これが勉強会だ」というようなことを言うつもりもない。

一方で勉強会に集う人々、主宰する人々、それぞれにある種の共通の価値観みたいなものはあるような気がする。十人十色なので全員が同意するというものではないけど、多くの人が大切にするような価値観である。それぞれのコミュニティには、それぞれの価値観があり、その価値観で緩くつながっているわけで、その価値観が普遍であればあるほど多くの人の共感を集める。

わたしがカーネル読書会をはじめたきっかけは本当に偶然で、それがまさか10年以上も続くなんてことは夢にも思っていなかったし、自分にとってこれほど大切なものに育つなんてことは考えてもいなかった。偶然と僥倖である。

ただ漠然とした思いではあるが、シリコンバレーというIT業界のメッカ、それも90年代半ばというインターネット勃興の現場にいたものにとって、シリコンバレー的な開かれたユーザグループの会合とか大学の授業への一般人の参加は、本当にwkwkして、そーゆーことが日本という地域でもあればいいなあと思っていて、その思いが最初のカーネル読書会の開催をさせたどっかにあった。

ソースコードを読むという試みは「モジラの解剖」という当時書いていた「シリコンバレー日記」と併設する技術系(?)日記のようなもので98年ころ実践していて、日本に帰ってきて、Web日記(当時ブログという言葉はなかった)を書くのは電話代の関係もあり*1、面倒で放置していた。モジラへの興味も若干薄れたこともあり、ちょろっとLinuxカーネルでも読んでみようという極めてあいまいなところで、どうせやるなら、それを肴に飲み会でもするかというのがというのが正直なところである。*2 *3

カーネル読書会の向こうに見えるものは、90年代のシリコンバレーで見た自由闊達な議論で、そのような議論が自分の半径5メートル以内で出来れば素敵だなあという思いだ。そのような議論が出来る場、それが欲しかったのである。

別にどのような形式でもよかったのである。

多くの人が、会社や組織や年齢や所属やその他諸々の属性とは離れて自由闊達に議論出来る場が欲しかったのである。それが結果として勉強会的な何かであったり、コミュニティであったりした。

これが自分にとっての勉強会的なるものの原点である。

で、なんでそのような場を欲しかったかというと、技術者としての焦燥感というか、このままでいいのだろうか、自分は技術者として通用するのだろうか、プロフェッショナルとして生きていけるのだろうかというような漠然とした思いがあり、その思いを誰かと共有したい。あるいは、技術の達人と出会いたい。技術の師匠にあって、その人から何かを学びたい。そのような思いがあった。

若いエンジニアに勉強会の参加を勧めるのは、勉強会そのものというよりも、勉強会の向こう側にある、人との出会いであったり、さらには技術者として成長していくための基礎的な訓練のヒントがそこにあるのではないか、少なくともわたしはそのようなものを学んでいる、そして、若い人にも、おせっかいではあるけど、その中に入ってそこから何かを学んで欲しいと強く思っているからである。

ITの世界は技術が重要だと言われている。技術は人が作る。機械が作るわけではない。その技術を作る人が成長しない限り技術の成長はない。

人の成長の場というのが、仕事であったり、勉強会のようなコミュニティであったりする。

そして、そのようなコミュニティが存在し、誰でも自由に参加できる社会の方が、そうでない社会より遥に自分にとっては心地がよい。

自分のまわりがそうであったほうが、そうでないより遥に気持ちがよい。そのような社会を作りたいと妄想する。

会社によっては、仕事がデスマーチで勉強会どころではないというのもあるだろう。同じ会社でも部署によっては、徹夜徹夜でへろへろということもあろう。

もちろん程度問題ではあるが、定常的なデスマーチというのはどう考えてもおかしいし、ソフトウェア開発の方法として構造的に問題だというのは論をまたないと思う。現場がそうなのであれば、それを変える努力をする。それを行うのはあくまでも人なので、人が変わらない限り変わらない。

その変わるきっかけとして、様々なヒント、気づきを勉強会やコミュニティは与えてくれる。

技術者として成長したい。そんな思いが自分にはある。

そして、社内勉強会を推進するのも、そのような価値観を会社として共有したいし、社内エンジニアを活性化することによって、収益を確保し、さらには処遇も向上させたい。もちろん様々な思い、組織の壁、個人の考えが鋭くぶつかり、時には対立することはあるかもしれないが、一人一人の幸せを追求しつつもそれが会社にとってプラスになり、さらには社会にとってもよい方向に変えていくきっかけになれば望外の喜びである。

道は遠いかもしれない。勉強会の向こう側にあるものを得るのは難しいことかもしれない。

だけど不可能ではない。達成したいと言う強い思いがあれば、未来のいつか。それはかなう。

愛と平和。