未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

東海道五十三次(その4)。藤沢から小田原まであるいた。

東海道五十三次シリーズ。


小田急線藤沢本町から藤沢宿の続き


国道一号線の日本橋からの距離道標。この1キロごとの道標がモチベーションになって次の道標まで行こうと思う。フラットな道だと1キロ10分ちょっとのペースで行ける感じである。


藤沢市から茅ヶ崎市へ入った。行政区域が変わると標識があるのでどこまで来たかがわかる。


100メートル毎にちっちゃい道標がある。歩数を数えたところ、平坦な道では120歩強で100メートルなので、一歩80センチくらいになる。疲れてペースが落ちると歩数が増え、ペースが早いと歩数が減る。55.5(ごーごーごー)キロ。


松林中学校交差点。平塚まで8キロ、小田原まで30キロ、静岡まで123キロ。ゴールの平塚まで意外と距離があってテンションが下がる。


一里塚は残っているところもあれば残っていないところもある。昔の旅人は一里塚で一休みをしたのかもしれない。
徳川家康は江戸を中心とした交通網を整備して、東海道などに一里ごとに塚を築いて旅人の目安にした。東海道日本橋を起点にしていて、この一里塚は14番目になる。かつては道の両側にあった。

茅ヶ崎から

進行方向左手に富士山が見える(はずの)左富士。江戸から京都へ行くとき通常は向かって右側に富士山が見えているが東海道では左側に見える場所が二つあってそのひとつ。
日本橋から60キロ目。

相模川橋の昔の橋梁。


平塚市に入った。

相模川
馬入橋の中程に62キロ目の標識があった。


平塚宿史跡絵地図。


平塚宿の江戸見附。見附というのは宿場の門にあたる。江戸側。


平塚宿京方見附の説明。京都側を京方見附と呼ぶ。

大磯


大磯町に入る。


島崎藤村邸。藤村は明治五年(1872年)に生まれた。

島崎藤村邸。


島崎藤村邸。

疲れて来た



松屋本陣松屋本陣跡。大磯宿と小田原宿の間が16キロと長かったので、その中間地点に間の宿として休憩所が設けられた。
一般のお宅の庭にこの看板が設置されていた。

一休み

歩き疲れた。小田原にゴールしてから夕食をと思ったのだけど、一休みしたいので、ファミレスで休憩。


フライドポテトをつまみにした。


一里塚のバス停を発見。東海道の史跡がすっかり失われてバス停になっていた。


東海道小田原宿の看板。


江戸口見附と一里塚。


小田原の銭湯。中嶋湯。一風呂浴びて帰る。


JR小田原駅がゴール。無事に到着。

疲労困憊だわぁー。

藤沢から小田原まで。

宿場名 現在の住所 日本橋からの距離 次の宿場までの距離
藤沢 神奈川県藤沢市 12里18町(49.1km) 3.5里(13.7km)
平塚 神奈川県平塚市 16里(62.8km) 27町(2.9km)
大磯 神奈川県中郡大磯町 16里27町(65.8km) 4里(15.7km)
小田原 神奈川県小田原市 20里27町(81.5km) 4里8町(16.6km)