未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

50代のお父さんのための自分SWOT分析

自分の人生を日記ネタにして生きているhyoshiokです。昨今の不景気風ビュービューふきすさぶ中、皆様いかがお過しでしょう。

ということで、日本のお父さんのためのSWOT分析というのを考えてみた。ターゲットとなるのは50代、有名大学を出て大手企業に就職した、勝ち逃げ先行にはいろうとした50代前半。子供はまだ就職していないし、住宅ローンもかかえている、しがないお父さんである。わたしとの違いは、大手企業で安泰な生活と高収入。(わたしは中小零細企業でしょぼい給与←ここは泣くポイント)

わたしと同世代の皆様向けに考えてみた。若い人は、10年後、20年後の姿として考えてみてほしい。

S(Strengths、強み)

大手企業で30年近く働いてきた経験、幅広い知識などは強みだろうなあ。やっぱし。大手企業なので、そこそこビッグプロジェクトも経験した。若いころは無茶もした、失敗も重ねた。海外生活も強みかもしれない。社会の多様性を学んだ。(人の人生を勝手に妄想して、強み分析をするのはなかなか無理があるなあ)

山一證券に勤めていたやつなんかの経験は絶対強みになるな。逆境に強いし、世の中を複眼的に眺められる。親父から受け継いだ家業を倒産させたやつも強いな。人生の修羅場を経験したわけだし(もちろん経験しないでこしたことはないけど)、それにしてもそこからはフツーの人生からは得難い何がしかがあるだろうし。会社更生法とか民事再生とか普通は縁遠い話だし。

安定した収入、ポジションなども強みかもね。

W(Weak、弱み)

これは人それぞれだ。ITに弱いとか英語がからっきしとか。部下にいろいろやらせていたので、コピーが出来無いとか、出張の予約が出来無いというのも弱みになる。紅白に出てきた若手歌手の名前も歌も全然知らない。トレンドに弱い。

お酒に滅法弱いとか、女性に弱いとかいうのは通常SWOT分析には関係ないので、それはおいておく。いや、それで人生棒にふっちゃいましたでは、いかんのだけど。アルコール依存症であるとかは病気として認識しちゃんと直しておいたほうがいいと思う。

大企業に勤めているというプライドは弱みかもしれない。変なプライドは捨てた方がいい。

O(Opportunities、機会)

世の中は機会に満ちているとは思うのだが、その機会を自分の目で発見できないというのが実情である。Willam Gibsonの「未来はここにある。ただ均等に分配されていないだけだ。"The future is here, it's just not evenly distributed yet."」を持ち出すまでもなく。*1
長年培った友人、人脈、ネットワーク、そこから選られる情報、などなどは大きな機会だ。

趣味というのはビジネスにならない限りここでは機会においておかないことにする。しかし、遊びでやっていた、オープンソースプロジェクトが商売になっちゃったりするので、世の中何が機会になるか判らないものである。一方で趣味が高じてというのもあるし、趣味をビジネスにするというのも、それはそれでありなので、ビジネスモデルと対になって考えたい。

T(Threats、脅威)

会社の業績が急降下。派遣社員の契約打ち切りなど益々コストカットが厳しくなってきている。希望退職制度などもはじまった。50歳代という年齢も再就職を難しくしている。住宅ローンも教育費負担も重たいので、そうそう簡単に転職もままならない。

年齢給(年功序列的給与体系)は、現状のコストカットの風潮から脅威になる。

まとめ

書いていて、なかなか辛い現実がある。会社のためと思って一生懸命働いて、若いころは薄給で、年功序列型の賃金体系でやっと、それがトントンとなろうころ、働かないで高給を貰っている中高年ノンワーキングリッチとか揶揄されてしまう。立つ瀬がない。

若い人を搾取していいわけがない。だけど中高年を露頭にまよわせても問題は解決しない。社会全体が最適化するための制度設計が弱すぎるような気がしている。人材流動性を増し、生産性の低い企業から生産性の高い(成長産業)企業へ緩やかに人材が流動しやすい制度設計をする必要がある。

ただし社会の制度設計が最適化するまで待っていては何もならないので、個人として、どのようにしたたかに生きていくかの人生設計論を考え、脅威を機会に、弱みを強みへ転換する戦略が必要になる。

具体的に言えば、社会に十分なセーフィティネットがないのなら自分のできる範囲でしたたかに生きていくしかない。会社がたよれないのであればなおさらである。

職務経歴書を書いて自分の経験の棚卸をする。強みと弱みを分析する。脅威という外的要因がある以上それを低減する努力をする。

例えば、住宅ローンというのは間違いなく家計収支の固定費を押しあげる脅威であるのだが、そのような認識を持つ人々は少ない。資産になりますよ〜という口車に乗って、年収の何倍ものローンをかかえる人がいるが、どう考えてもそれは賢い方法ではない。米国サブプライムローン問題を笑う人が、自分のローンでアップアップしているのは、喜劇かなにかなのだろうか。全く返済能力のない人にローンを貸すというのは論外であるが、人生のほとんどをローン返済という名の呪縛にからめとられているという現実も考えなおした方がいいと思う。(いらないお節介であることを百も承知で言う)

求人の50歳という年齢による足切りというのは問題だと思うが、社会制度の変更には時間がかかるので、常日頃アンテナをたてて情報を入手する。人材会社の人と情報交換するだけでも違う。

自分の実力と会社の看板を勘違いしない。経験は間違いなく個人のプラスになるが、どこどこ株式会社の役職は自分の属性ではない。独立したとして、その会社の属性をはなれたところでの人脈がどれだけ役にたつのかを評価しないといけない。

わたしは年賀状を書かなくなって久しいが、年一度の付き合いよりも、日頃の付き合い、会社関連の付き合いよりも、それ以外の付き合い、などを考えると、年賀状が来なくても全然寂しくないのだが、会社を定年退職したお父さんが年賀状がぐぐっと減ってがっくりなんて話を聞く度に切なくなる。仕事の付き合いが人生のほとんどをしめていたんだろうなあと思うと。地域のコミュニティとか、子供の友人とか、人生は出会いに満ちているというのに。

同世代のご同輩の皆さん、現実は厳しい。しかし、世の中には機会に満ち溢れていると思う。自分が気がつかないだけだ。準備があれば、その機会を発見する可能性も広がると思う。備えあれば憂いなし。

いろいろなしがらみを捨て、創造的破壊をする50代でありたい。