虚数の情緒、第II部 叩け電卓!掴め数学!4章 無理数:比で表せない数まで読了
id:hyoshiok:20160321:p1 で紹介した最初に読む本、虚数の情緒―中学生からの全方位独学法を読んでいるのだけど、一月経ってもまだ三分の一。やっと三分の一だ。
遅々として進まず。途方に暮れているが、それでも、どうにかこうにか三分の一きた。
読んだところの目次は、1章 自然数:数の始まり、2章 整数:符号を持つ数、3章 有理数:比で表せる数、4章 無理数:比で表せない数である。
中学生からの全方位独学法なので、説明は簡単で中学生のリテラシーがあれば読みこなせるはずである。しかし、読むのに時間がかかる。
本に付箋を貼りながら理解しながら読むので時間がかかる。時間がかかること自体は悪いことではない。
自然数は終わりの数がない。当たり前と言っては当たり前なのだが、ふむふむと理解しながら読み進める。脚注にはいろいろ面白そうな本が紹介されている。寄り道したら楽しいだろうなあと思うが、そうすると決してゴールにたどり着けないような気がする。
途中で電卓の話が出てくるが、それも面白い。
規則から法則へ、そして再び規則へ(142ページ)、「規則を体験する事」の重要性を説いている。
さて電卓である。(233ページ)
0.00000000001を2で割ると0になるという。手元のAndroidに付属の電卓アプリでやってみても、0にはならない。5.E-12と表示される。これは5*10**(-12)の事。10のマイナス12乗だ。ゼロにはならない。
電卓の誤差。(251ページ)
1/4096*4096は1にならないと書いているが、Androidアプリだと1になった。同様に1/3*3や1/7*7など循環小数も見事1になる。電卓アプリ恐るべしである。
イデア論。(290ページ)そのものの本質をイデアと呼ぶ。普遍的な定義と言ってもいい。『数学の新しい定理を導いた時、殆どのものがそれを「発見」したと言い、「発明」したとは言わないものである』。その心は『「”定理”は既に存在しており、誰もそれを見出していないだけである。そして、その定理を自分が”掘り出した”のだ」と考えているからである』(292ページ)
夏目漱石の『夢十夜』で、運慶が仁王像を掘っていく様を、あれは鑿(のみ)で掘っているのではなく、木の中に埋まっている仁王の顔を、まるで土の中から石を掘り出すようにしているのだ、と若い男が解説している、というエピソードを紹介している。見えている人には見えているのだろうなあと思った。(293ページ)
2の12乗根。(312ページ)
絵画や彫刻は、「空間の芸術」で、音楽は「時間の芸術」と呼ぶのがふさわしい。そして、2の12乗根がここで出てくるのである。半音とは2の12乗根の事である。(325ページ)
数学と音楽がこんなところで融合していたのかとビックリポンなところであった。
誤植と思しきもの
199ページ、6段落目。
誤:平行線の内側にある二重丸で示された角が互いに等しい事である。
正:平行線の外側にある二重丸で示された角が互いに等しい事である。
あるいは
誤:平行線の内側にある二重丸で示された角が互いに等しい事である。
正:平行線の内側にある丸ないしは黒丸で示された角が互いに等しい事である。
333ページ
誤:次第に4に近づいていく数の平方根を取る作業を重ねていくと、
正:次第に2に近づいていく数の平方根を取る作業を重ねていくと、